シンガーソングライターとして活動中。現在は対面やオンラインでギター弾き語り講師をしている。
京都府亀岡市出身で、第2の故郷は奄美群島にある”徳之島”。血は奄美と大阪のハーフ。
12月7日生まれのいて座、動物占いはペガサス。
高校3年生の時にアコースティックギターを始める。
大学生になり、エレキギターに持ち替え、憧れのバンドマンに。様々なバンドの曲のコピーに明け暮れる毎日。
大学3回生で、初のオリジナルバンド結成。オリジナル曲の制作、ライブを始める。
大学卒業後もバンド活動を続けたが、2014年に解散。
その年の7月にソロでの活動を開始。関西を中心にアコギ弾き語りで素朴に歌っている。使用ギターはK.YairiのSRF-2AとWY-1、TaylorのBaby Taylor。
現在は、Youtubeにオリジナル曲の他、様々なアーティストのカバー曲もアップしている。その他、ギターや音楽活動について解説した動画も投稿中。
好きなもの
・鯖寿司、かつ丼、551の豚まん、ヤギ汁
・煎茶、抹茶。
・旅。ギターを持っていき、自然の中で歌うのが好き。誰も聴いていなくても気持ち良い。誰も聴いていないから気持ち良い。
・ダジャレ、言葉遊び。面白いこと。
・妖怪。1番好きな妖怪は「べとべとさん」。
・民芸品。旅先でちょっとずつ購入。特に器を作る「窯元」さんを訪れるのが好き。
・鉄道。もともとはぼーっと乗っていることが好きでしたが、最近では走る姿を見ることも楽しみの一つ。
音楽に出会った幼少期
幼少期は、母がよくレコードやカセットで童謡をかけてくれていました。当時聴いていた歌は、今でも大好きで、いまだにそのカセットを大事に持っています。そして、たまに聴いてます。
4歳の時に、”公園でBBQ”という地域のイベントが催されました。その時に、なぜか歌を披露することになりました。そこで歌ったのは「ぞうさん」「チューリップ」の2曲です。
歌い終えた後に拍手をもらい、なんとも言えない高揚感を覚えました。これが人生初ライブの記憶です。笑
その他、保育園での発表会などでリズムをたたいたり、歌ったりするのが楽しかったのを覚えています。
同じ年、ピアノも習い始めました。ですが、特にピアノが弾きたいと思ったわけではありませんでした。始めた理由は「姉に負けたくない」という、不真面目な理由から。
なので、当然練習にも身が入りません。レッスンでは毎回居眠りをして、先生に「もう来なくていいよ!」と怒られていました。
しかも楽譜も大嫌いだったので、新しい曲を始める時には、苦労したものです。先生がお手本で弾くのを必死で覚えて帰り、それを思い出しながら練習するというスタイルでした。笑
結局10年通いましたが、今ではピアノはほとんど弾けません。「姉に負けたくない!」と通い始めたものの、足元にも及ばない結果となりました。笑
ですが、相変わらず歌は好きで、いつも歌っていました。幼少期は、父や姉が車でかけてくれる「槇原敬之」さんや「X-JAPAN」、「ウルフルズ」などを気に入って聴いていました。
また、夕食後に父がギターを弾いてくれることがありました。そこで「泳げたいやきくん」や、長渕剛さんの「乾杯」をよく歌ったのを覚えています。何となくギターに憧れを感じ始めたのもこの頃でした。
音楽に急接近した小学~中学時代
音楽に急接近したのは、小学生から中学生のころです。
もともと音楽が好きだったので、このころはたくさん音楽が聴きたくて仕方がありませんでした。でも、我が家はテレビはほぼ禁止。なので、お古のラジカセを部屋に持ち来み、家にあったカセットを聴いていました。
当時大流行していた宇多田ヒカルさんのアルバム「First Love」を、姉に借りて聴いた時は衝撃的でした。それをカセットにダビング(!)して、ラジカセに耳をくっつけて歌詞を聞き取り、真似して歌っていたものです。笑
そして、小学生を卒業する頃、「これを機に何とかCDもラジオもカセットも聞けるラジカセをゲットしたい…!」と考えるようになります。
ですが、お小遣いはなし、お年玉は全額母に通帳に入れられている…。それなりの理由がなければ、そこからお金を出してもらうことはできない…。
そのような状況で、小6の私は母にこう言いました。
「中学になったらラジオの英語講座を聴きたいから、ラジカセを買いたい。だからお年玉を出してください。」と。
そうして、晴れてマイラジカセをゲットしたのです。中学生になり、そのラジオ講座を聞いたのは初回の2回のみ。あとは、ずーっとラジオです。笑
ですが、この頃「CD」以外に「MD」というものが出回り始めていました。
それが気になり始めた頃、私は「ポルノグラフィティ」というバンドにはまっていました。そんな時に、彼らのアルバムを「MD」に録音したものを友人がくれたのです。
「これはもうCD・MDコンポを買うしかない!」と、お年玉をもらったその足で買いに行きました。その時買ったのは、昔懐かし「AIWA(アイワ)」のコンポ。
ラジオも自動受信なので、FMも綺麗に入る…!ということで、ますますラジオっこになっていったのです。
ギターを始めたきっかけ
ギターを弾こうと思ったのは、「ポルノグラフィティ」というバンドをテレビで見たことがきっかけでした。その時「サボテン」という曲で、ボーカルの岡野昭仁さんがアコースティックギターを演奏していたのです。
その曲が好きだったこともあり、家にあったアコギを弾いてみることにしたのです。実は、それまでにもアコギに挑戦していたのですが、2度挫折をしていました。何から、どう始めていいかわからなかったのです。
その後「矢井田瞳」さんに憧れ、ますます弾き語りができるようになりたい!と思うようになりました。こうして、3度目の正直で、アコギの練習を始めることができたのです。
音楽三昧の学生時代
高校3年生の時に「チャットモンチー」というバンドに出会いました。それで「女の子のエレキギターってなんかいい…!」ということで、大学に入ったら絶対バンドを組む!と少女B型は心に決めます。
表向きは、「文学を学びたいから大学へ行く!」ということで通わせてもらったのですが、1番の目的は大学でバンドをすることでした。
そこで、軽音サークルに所属し、様々なバンドのコピーをしました。そのサークルでは、毎回違う人とバンドを組んで、いろんな曲を演奏をするという形で活動していました。特にチャットモンチーに始まり、GO!GO!7188やフジファブリック、つしまみれ、凛として時雨(ベースボーカルとして参加)…などのバンドに力を入れていました。
今思えば、この経験で演奏を楽しむとともに、たくさんのことを学んだなぁと思います。
そして大学3回生の頃、念願のオリジナルバンドを組むことができました。かつて憧れていた女の子3人のスリーピースバンドです。
この頃は、「GO!GO!7188」や「つしまみれ」といった、かっこいいバンドに憧れていました。なので、それに影響されてロックテイストな曲を作っていました。
↓良かったら下の画面中央の再生ボタンを押して、聴いてみてくださいね。
こうして、ライブ活動を重ねていきました。
シンガーソングライターになったきっかけ
私がシンガーソングライターとして活動をしたいと考えたのは、ある歌を聴いたのがきっかけでした。
それは、ミドリカワ書房さんの「それぞれに真実がある」という歌です。この歌では、不倫したパパの娘への気持ちが歌われています。
これを聞いて私は、ラジオの前で正座して泣きました。両親は今でも割と仲は良いですし、内容がドンピシャで私と同じだった!とかではありません。
でも、「どうにもならないことだけれど、これが真実なんだ」というその歌詞に、私自身の状況が重なり、勇気づけられたのです。
私が音楽活動をすることは、両親にあまり良く思われていませんでした。特に、母には。おそらく「ギターは不良」「音楽業界はヤクザ」というイメージがあったのでしょう。娘が心配、それもあったのだろうと今なら思えます。
でも、当時の私は、音楽活動をすることを理解されず、「自分が音楽を好きなことはダメなことなんだろうか?」と長年悩んでいました。
そんな時にこの曲を聴き、「仕方ないけどこれが自分の真実なんだ!」と感じ、急に許されたような気持ちになったんです。
その経験から、どうにもこうにもならないことを歌にして、歌っていきたいと考えるようになりました。これをきっかけに弾き語りの道へ進んだのです。そんな私は今、弾き語りでこんなふうに歌っています。
シンガーソングライターとして活動をはじめて、良くも悪くも「自分自身が普通の、ただの人間」であることに気づきました。
そのことで生きるのが楽に、そして楽しくなりました。
これを見てくださっているあなたに、私の曲でゆるく刺激を与えられたら嬉しいな、と思っています。
また、私のブログがギターを弾いてみたい!弾き語りをしたい!という方の何らかの助けになれたら良いなぁと思っています。
B型さんの今
数年前にちょっとした事故で顎関節変形症を患い、治療中のため、ライブ活動はお休み中です。これを機に改めて音楽理論やギターについて、学びを深め、現在は楽曲作成と並行し、対面・オンラインにで、ギター講師も行なっています。
これまでは「自分の演奏を聴いてもらいたい!」の思いばかりが大きかったのですが、この経験で、「ギターを弾く楽しみを、自分の知識や経験を使って、人に伝えられたら!」の思いが大きくなっています。
そんな思いで日々発信をしています。
長々と生い立ちを話してみましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!
B型さんでした。